良くあるよね、そんな人

良くいる人の日常を少しご覧になれます。

7日目

期待されるということ。

それは労働者であれば、どうしてもついてくること。

時にはそれが力に変わり、時にはそれが苦痛ともなる。

どう捉えるかは、その人の個性そのものであるとも言える。

たとえば認知の問題であったり、関係性のバイアスであったりもするが。

仕事上、どうしても外部との付き合いが一定レベルで発生する。

これが嫌なわけではないのです。

ただ、期待が重いなと感じる時もあります。

特に「あなたが推薦するなら、それはもう確実だよね」と言われる時。

推薦はするんだけど、確かにするんだけど、そこまで求められる気後れしちゃうなって、思ってしまうのです。

今までは確かにうまくいっていました。

もちろんこれは根拠を必死に探しながら進めた結果であって、決して率の悪いことにベットしたわけではないのです。

ただ、そうなんです。

率が良い方にベットして、結果率の良い方を引きつづけたということなんです。

幸運はいつまでも続かないように、いつか失敗があると思う。

それは少し怖い。

もちろん、いつだって怖いわけですが、とりわけここが一番怖い。

リカバリー方法もしっかりと分かってはいます。

だからと言って、失敗は失敗。

積み上げた砂上の城は、どうなることやらと考えてしまう。

こう考えるようになったのはいつからか。

振り返ってみると、家族を持つタイミング、管理職になったタイミングで、それぞれ感じるものがあったような気がします。

やはり家族を持つということは、責任を負うということ。

私が支えていくことが中心になる。

だから、決して責任を放棄してはならないのだと感じる。

また、管理職になり、何が変わったのか。

部下を持つということ。

部下の将来を背負うということ。

取り巻く、部下の家族そのものの一部を背負うということ。

もしかしたら、背中に背負いすぎてしまったのかもしれない。

一度背負うと、自分からはおろせないものばかりだ。

もしかすると背中は曲がり始めているのかもしれない。

それが生きていくことなんだろうな。

生命の営みってとても不思議です。

なんだかまとまりのない文章になってしまいました。

きっと、今日が金曜日だからだと思います。

疲れが溜まると余計なこと、考えますよね。

そんな昨日が過ぎ去って、今日という日がやってきた。

今日も1日頑張りましょう。

6日目

スケジュールは個人の裁量の範囲で、ある程度コントロールをしなければならない。

つまり、楽をするのも、苦労するのも自分次第。

サラリーマンである以上、熱血さも大事である。

売り上げを上げ、会社の利益に貢献をする。

時間の限り、精一杯の努力をすることが理想だ。

・・・あくまでも建前の話です。

実際は、自分が壊れないようなスケジュールを立て、いい感じにサボる。

時には喫茶店でのんびりしたり。

時には駅ビルでウィンドウショッピングをしたり。

そういう活動をして、それなりの数字を出す。

これが「私としてできる範囲ですよ」という言い訳のベースになるものだ。

ただ、最近それが崩れてしまっている。

時間の刻みが分単位で襲ってくる。

タスクを消化しても次がやってくる。

せっせかせっせか動いて、気がついたら終業時間だ。

ある意味幸せなのかもしれない。

これが決して嫌なわけではないのです。

むしろ、時間が飛ぶように過ぎて、脳みそもきっとハイな感じなんだと思います。

そうして家に帰ってきて、ヘロヘロの状態でお風呂に入る。

出たら、愛すべき妻と子供達とおしゃべりをして、楽しく食事をする。

なんだかんだ疲れているので、家族全員でさっさと寝る。

そして、朝の日課であるブログを書いて、今日のエネルギーへと変換する。

理想的ではあります。

もちろん、異論も当然のことながらあるでしょう。

30代の私の睡眠時間は22時〜5時までと、平均より圧倒的に寝ている。

もっとやれることもやりたいことも、実はあるのです。

ただ、それを並行して進めていくことは、現状の中では「無理をしている」に該当しそうなのです。

無理をして続けること。

それが体にとって、一番良くないことだと思っています。

自分ができる範囲で、できることをする。

結果として、できる範囲は徐々に広がっていって、成長へと繋がっている。

私のスタイルはここにあります。

努力ができる人になりたい、と思うこともありました。

天才だったらどんなによかったのか、と思うこともありました。

20代の頃は特にそうだったかもしれません。

それが30代に入り、ちょっとずつ世の中の歯車の中にいる喜びを知ったことで、考えが変わってきました。

普通ってなんてすごいことなんだろう。

普通に生きているだけですごいぞ、と。

足るを知ったから、なんだと思います。

これからも、足りていることに喜びを感じられるように生きていきたいな。

そんな昨日が過ぎ去って、今日という日がやってくる。

今日も1日頑張りましょう。

5日目

昨日はそれなりの人数の前で話す機会があった。

そして思うわけです。

やっぱり面倒くさいなあ、と。

話をする機会というのは、3パターンなんだと思っています。

  • 強いられて消極的に
  • 頼まれて受動的に
  • やりたくて主体的に

モチベーションへの影響は、それぞれのパターンでそれなりに変わってきます。

が、やはり
やりたい>頼まれる>>>>強いられる
になります。

たまに強いられても、案外楽しい内容になってモチベーションが上がるケースもたまにありますが・・・。

全体的に見れば、そんな機会はあまりないように思います。

さて、今回については、真ん中の能動的なアクションの結果でした。

とはいえ、所属を代表するわけですので、誤りがないことはもちろんのことながら、自分たちの良さをうまく伝える工夫が必要。

以前なら、会場に出向いてそれなりの席から、表情作りながら行う必要もあったわけです。

実にありがたいことに、この状況下。

不謹慎な言い方をしてしまうと、人に会わずに済む今の世の中は私にとって最高です。

もちろん、会って話をするメリットも理解できます。

ただ、大勢の人の前でそれをすることは、あまり得意な性格ではないのです。

こそこそと目立たない生き方をしながら、それなりに成果を上げ、中間管理職についてしまいました。

だからこその悲哀でしょうか。

競争社会を必死で生きてこなかったから故の、代償でしょうか。

色々理由をつけようと思えばあるわけですが、場慣れしていないのです。

いつか場慣れして、さらに大きな規模の中でスピーカーになることもあるのでしょうか。

いや、想像するだけで頭痛くなるのでやめましょう。

そういう別次元の自分もいるかもしれない程度がちょうど良い。

足るを知るという言葉もある通り、多くを求めることが善であるわけではありません。

今足りているんだなということを理解すること、これも大切ですから。

ただ、機会をもらうたびに思うのです。

なんだかんだ、やっぱりやることには多少の意義があるんだな、と。

少なくとも自分に良いフィードバックを与えることができるんだな、と。

今年最後の機会ですが、来年もまた同じくらいの規模のものに誘われるような人でありたい。

そんな昨日は過ぎ去って、今日がやってきた。

今日も1日頑張りましょう。

4日目

ダイエットを始めた。

今思えば、昔はよかった。

何を食べても太らないので、気にせず食べていた。

その積み重ねが今だ。

そういえば昔言っていたなあと、ふと思う言葉がある。

「筋肉がつかないのは、脂肪がないから。脂肪をつけて筋肉をつけよう」

時は満ちた。

まさにそれは今なのだ。

20代から30代に駆け上がる頃、突然ぷっくりと何かが顔をもたげ始めた。

初めは「なんだ、最近飲みすぎたのかな」なんて、楽観的に見ていたが。

ゆるゆる、という速度ではなく、みるみると育っていった。

今では20代の頃の平均体重に、+20kgもしなくてはならない様だ。

子供が物心ついた時に、太鼓腹の親だったらどう思われるだろう。

きっと、スラッとした他のお父さんと比べられて、がっかりされてしまうかもしれない。

それは嫌だ。

親である以上、子供に期待もするし、子供からの期待にも応えたい。

約束は守りたいし、美味しいものも食べてもらいたいし、知らないことを知ってもらいたい。

そのためには努力が必要だ。

なので、昨日から本格的に始動した。

まずは体重を10kg落とす。

そして、腹筋を割る。

あくまでも子育てをしながらやる。

つまりは筋トレに集中する時間は設けないでやるのだ。

食生活もそんなに変えないでやってみよう。

お酒を1杯減らす程度はあるかもしれない。

無理をすることは、無理と思ってしまう理由を作ることと同義だ。

無理をしないでダイエットができるのだろうかと、疑問を覚える方もいるだろう。

もちろん、効率は落ちる。

本格的にやるよりは遥かに、だ。

私の価値観として肝心なことは、

  • 決めたことをやる。
  • 決めたことを一貫する。
  • 決めたからやる。

だ。

というわけで、だらだらとダイエットについても、極希に書いていくこともあります。

なお、本日の現段階では、

ジャスト70kg

となっています。

2週間、1ヶ月、春頃にはどうなっているのか。

ついでにだらだらダイエットメニューです。

制約
  • 階段をなるべく使う(膝が痛くない範囲で)
  • 食事量を気をつける(無理しない範囲で)
  • 面倒くさがらない(油断大敵)
メニュー
  • 帰宅後、シックスパッドを30分実施
  • コロコロローラーを子供楽しくやる

以上

こんなんで痩せるんかいな、ってね。

そんな昨日は過ぎ去って、今日という日がやってきた。

今日も1日頑張りましょう。

3日目

季節柄というものだろうか、下の子の咳が止まらないので病院へ。

自分たちなら、こうなったら病院に行こうと判断出来るが、やっぱり子供は難しい。

泣いている時の様子から推察するしかない。

いつもより激しいな、とか。

いつもより静かだな、とか。

まあ、それなりに色々な要素を見つけながら、必要なんだと言い聞かせる感じだろうか。

ある意味理由をつけて、体を振り絞っていく感じ。

きっと本能的に病院が嫌いなんだろう。

あくまで、親がであって、子供のためなら動きやすいのもまた事実だけども。

さて、そんなわけで病院へ。

こんなご時世ですが、お出かけはなるべく全員参加なルールです。

機会平等という精神が一部、家で待機している方が面倒臭いのが大部分な感じですが。

もちろん病院の中で待つわけにはいかないので、健康組は近くを散歩して待機です。

日曜日ということもあり、普段行っている病院ではなく、初めての場所へ。

つまり探検ポイントを探すことが一番の目的だったんですが、今日はそういうモードには入らず。

久しぶりのカートが嫌で、抱っこして欲しいモードが全開。

抱っこしながらカートをガラガラと転がし、それなら初めから抱っこで荷物軽くしたいなって思ったり。

悪い癖で、効率を少しでも良くなる方法を考えてしまう。

きっと子育てには必要のない思考法だと思う。

子供は効率と真逆の世界の住人だ。

効率とはそもそも、「こうすればこうなる」という事実のパズル。

つまりは事実を知っていればいるほど、効率は上がるというもの。

事実を知らない子供は、事実を知るために非効率な場所からスタートしていくのだ。

いつか花が咲くと思えば、こんな労力他愛もないものだ。

コンビニで「アンパンマン!」と店内に響く大きな声を出されたり。

レジで「アンパンマン!」とこれまた大きな声で苦笑いされたり。

道端で「早くアンパンマン!出す!」と強めに怒られたりもしますが。

好きなものを見つけられたことがとても嬉しい。

好きなものを好きでいることに、エネルギーを使ってくれてて嬉しい。

子育ては嬉しさの塊だ。

ただ、一瞬の感情に支配されそうにもなるけどね。

きっと、伝わるだろう、この感じ。

そうしても、過去を振り返るとキラキラしたものしかないのです。

だから、きっと子供のことが本当に好きなんだろうなと昨日を振り返りました。

そんな昨日は過ぎ去って、今日という日がやってきた。

今日も一日頑張りましょう。

2日目

成長を感じる瞬間に出会うは、子育てをしていればよくあることだろう。

それは新鮮な驚きとともに、ほんの少しの寂しさを伴って訪れる。

きっと、親の手から離れていっていることが、想像できてしまうからだろう。

昨日は保育園でお遊戯会がありました。

土曜日だったからというのもあるのか、本来行くはずのない保育園に戸惑い、大泣き。

そういえば入園式もそんな感じだったなと思い出し、まだまだこういうものは難しいのかなと思っていました。

大いに泣く我が子の迫真の演技を、周りの親に謝りながら見るイメージをかためていたのですが、現実はそう思い通りにいきません。

なんと、座っているのです。

とても無愛想な顔で、とても納得がいかない顔で、とても泣きそうな顔で。

それでも座っているのです。

保育士のプロの技を見せつけられました。

きっと、子供は納得いかずとも、先生に座ることを求められたので渋々従っているのでしょう。

当然、会の冒頭で名前を呼ばれても、ムスーっとしてピクリとも動きません。

それはそれでまあいいや、と思いました。

自宅でもよくあることですし、誰に迷惑をかけることでもない。

ただ、愛想の悪い子があそこに座っていると思ってもらえるだけです。

本当のあの子は、まだまだ親にしか分からないのだと、ただそれだけで終わるはずでした。

結論、何が起きたのかと言うと。

突然踊り出したのです。

途中までは横の子を見て、立っているか座っているかだけを合わせていました。

しかし、自分のお気に入りの曲が流れ出した瞬間、何かを思い出したのでしょう。

そうか、ここにいる目的はお遊戯会なのだと。

私はアイドル赤ちゃんとして、生を育んできたのだと。

そこからは独壇場です。

他の子は律儀に自分の立ち位置をしっかりと守っているのを横目に、縦横無尽に舞台を駆け回ります。

踊りながらです。

周りの親も思わず笑ってしまうほど、とてもチャーミングに。

そうか、あの子はもう親だけが知っている子ではなくなったんだね。

自分という表現手段を、より深めることができたんだね。

ただ、それだけの話なんですが、これが瞬間なのでしょう。

お遊戯会の後もスムーズに、私の役目は終わったと言わんばかりにすぐ帰る。

改めて保育園という場所のありがたさと、成長の喜びの嬉しさに触れました。

そんな昨日は過ぎ去って、今日という新たな1日がやってくる。

今日も頑張りましょう。

1日目

おはようございます。

それでは、今日がいわゆる初日となります。

0日目に書いた通り、これは振り返りの日記です。

つまり、初日から金曜日という、週の中で最もハードな曜日を振り返るわけです。

何がハードかって、そりゃ疲れた体に鞭を打ちながら、のらりくらりとやることです。

そして悟られないように、顔だけは真剣になる努力をすることです。

さて、そんな金曜に対するゆるい想いを告白しましたが、昨日は何が起きたのか。

しっかりと金曜らしく事件が起きました

そう、起きたのです。

正しく、起きたのです。

何が起こったのか

私の職場はありがたいことに、スマホを持っていても問題ありません。

特にOKというわけではないのですが、私用のスマホを業務に転用している部分もあるので、
特に問題視されることもないわけです。

当然、個人的なメールなども見るわけでして、必要であれば返信をします。

あるいは、タイムセールに参加をすることだって、なきにしもあらずです。

昨日はそんな状況の中、一通のこんなメッセージが届きました。

妻「大変なことになった」

大変なこととはなんだと、一瞬で頭が家庭モードに切り替わるわけです。

子供のことか、妻のことか、家のことか、想像の範囲外のことか。

頭をぐるぐる回しても答えが閃くわけでもなく、結局聞くしないのですが。

よくある人「どうした?」と、1時間ほど悩んで返信をました。

なぜ、すぐに返信をしないのかといえば、当然私も拘束された時間のわけです。

また、妻も私の状況を知っているわけなので、本当に緊急であれば電話が来るハズと判断。

つまり、これは他愛もないけど、それなりに困ったことなので、
ある程度業務を整理する必要があったからです。

予想通り妻からは、まあそんなこと言われてもね、という内容がやってきました。

妻「鍵を閉じ込めてしまって家に帰れません。仕方ないので実家に避難中です」

うんうん、そうだよね、確かに大変なことではあるわけです。

ありがたいことに我が家は外から開けた場合、オートロックになります。

置き配の荷物を家に入れるとき、うっかり鍵を荷物の上に置いてしまったことで、悲劇は起きました。

聞いた私の選択肢はそう多くありません。

  1. いつも通り定時に帰る
  2. 今すぐ帰る
  3. それなりに仕事を終わらせて帰る

緊急性と重要性で行動を判断する、仕事でよく使いますよね。

私は最後の3を選びました。

急いで帰っても家に帰るだけなので・・・。

結局どうなったか

特に何かが起きているわけでもないですし、いつも通り実家でのんびりしている妻を見ながら、
ふと思いました。

「何事もなくてよかったねぇ」

何か、というのは想定してもしきれません。

事件も事故もやはり防げる範囲は狭いです。

1日に多少の起伏があったとしても、長い目で見たら平坦です。

そんな平坦さが、よくある人には心地が良いです。

1日を過ごせたことに感謝を、翌日を迎えられた今に感謝を。

今日も皆さんが健やかでありますように。