良くあるよね、そんな人

良くいる人の日常を少しご覧になれます。

9日目

どうして休みの日に、世の父たちは凝った料理をしたがるのか。

自分の父親もそうであったし、周りにもそういった性質の人たちはそれなりにいた。

なぜなのか。

私は、一つだけ主張したいことがある。

決して暇なわけではない。

だのに、なぜか昨日はまたやってしまった。

というよりは隔週程度のペースでやっている。

なぜなのか。

理由をいろいろ考えてみたけども、これだなという確信を覚えるものはなかった。

いくつかあるうちの一つとして、家族が喜ぶ顔がみたい。

というのも浮かべたけど、実際に喜ぶというところは、毎回あまりない。

いや、なんかこう書くと、うちの家族が悪いみたいな書き方だった。

いや、実際凝った料理って、その過程が楽しいだけで、成果は大したことないことありますよね。

もう一つ浮かんだこととして、自己満足したいっていうのもあった。

これは確かに要素に入っていそう。

材料にこだわったり、下拵えに力を入れたり、自己満足を得るための活動が中心とも言える。

これを明確に否定することは難しい。

ただ、これだけは言いたい。

自己満足が目的なら、もっと凝りたい。

だから、きっと違うんだろうと心に言い聞かせている。

そして、ふと書きながら思った。

料理をしている父の姿を、子供達に見せたいのか。

これが一つの正解かもしれない。

確かに、子供の頃、父親が料理をしている姿を見ていた。

それを見て、料理っていいな、楽しそうだなって思った記憶もある。

つまり、なぞっているのか。

自分が得たものを、子供にも与えようとしているのか。

うーん、それは複雑な心境でもある。

私は私として、子育てをしてきたつもりだけど、案外影響されている。

こう考えると、確かに子育てという括りの中でどうしても考えさせられるキーワードの一つ「虐待」っていうのは、なくならないよねって思う。

だって、自分がそれを見て(受けて)きたわけなので、それが無意識的に出ちゃう。

それが連環となっているわけだ。

気をつけるとか、覚悟を決めるとか、そういうレベルではないのかもしれない。

今はポジティブなものを見せようと思って、そうしたんだと思う。

今後少し怖い。

表裏一体隣り合わせ。

だから強く思わなければいけない。

「生まれてきてくれてありがとう」

そんな子供たちですが、私の姿に興味はなく、ずっとトトロを見ていました。

そんな昨日が過ぎ去って、今日という日がやってくる。

今日も1日頑張りましょう。