15日目
結局何だかんだ言いながら、2週間目も終わりましたね。
達成感は特にありませんが、あるのはいつまで続けられるのかなという素朴な疑問。
近い感覚として、人間はどこからきて、どこにいくのかという賢者の問いみたいなもの。
きっとこれが正解というものはなくて、単純に先の見えなさがそういう思考を生むのだろう。
そう、先が見えないこと、これは怖い。
誰だって怖いので、先を見ようとする。
その人が見える範囲は見えるんだと思う。
でも、きっと欲しいのはもっと先。
あの人とこうなったら嬉しいな、の先。
どんなことが起きるのかなんて、誰にもわからない。
目標とか、目的は見えるかもしれませんね。
ただ、見たいのは現実的なもの。
だから関係性を壊しちゃう人がいるんでしょう。
見たくても見れないって苦痛だからね。
見ない努力も必要だし、変える努力も必要かもしれない。
その時見えた先のことって、不変であることってほとんどないはず。
化学実験と違って、結果がわかっているけど、正しいことを証明するものではない。
むしろ、結果としてこれが見えるけど、化学反応でどんな風になるのかわからないって感じですかね。
なんでこれを書いたのかもいまいち分からないのですが、きっと自分の頭にはこの整理が必要なんだと思います。
あくまで掃き出し、掃き溜め。
今身近なものとしては、妻との関係、子供との関係。
あ、こう書くとなんか起きているように見える。
実際は何も起きてないのです。
ただ、先を見ようとしている自分を止める必要があったのです。
自分の描いたものに、家族を縛り付ける必要はない。
一緒に考えて行くことが最善なんでしょう。
だから、当然ぶつかることもありますし、時には理解をされないこと・できないこともあるでしょう。
それが他人ということで、ジョハリの窓でいう自分の知らない部分の属性でしょう。
知らないことを指摘された時、気づきに変えられることと、不法侵入という感覚に陥ることがある。
どっちになるのか分からないけど、そこを気づき側に変えることで対処ができそうですね。
色々考えるのはきっと年末だから。
これを書いた後に、子供のおままごとセットを組み立てる作業が待っています。
きっと喜ぶから。
ちょっとだけ早起きしているだけなんです。
そんな昨日が過ぎ去って、今日という日がやってきた。
今日も1日頑張りましょう。